わたしは子どもの頃から、おとなしいとよく言われていましたが、成長するにつれ「おとなしいね」から「存在感がない」や「影が薄い」と表現する人が現れるようになりました。
とは言えあまり気にするタイプではないので、今でも存在感がないまま生きています。
存在感がないせいでびっくりされる
わたしが自分に存在感がないことを実感するのは、仕事で人に話しかけた時にびっくりされるときです。
自分では普通に振舞っているつもりなのに、相手にとっては、こっそり近づいてきて急に話しかけられたと感じるようなのです。
相手にそう思わせてしまうのは、わたしの足音が小さいことと、動作がゆっくりで静かなことが原因のようです。
さすがに驚かせるのは申し訳ないと思うので、誰かに用事がある時には、近づきながらあえて机や周りのものをコツンと叩いて音をたてたり、書類をバサバサさせたりして存在をアピールするようにしていました。
それでも、「わ~ びっくりした~」と言われることも、ありましたけれどね。
できれば存在感を消したい
わたしが「存在感がない」とか「影が薄い」とか言われても、そのことで悩んだことはありません。
とにかく日頃から目立つことが好きではないので、あえて集団の中では常にひっそりと息を殺している状態です。
普段はそれで問題ありませんし、わたしがまるでそこに居ないかのように物事が運ぶこともあります。
それなのに、みんなが嫌がるような仕事や役員決めの時になると、いくら気配を消していても、なぜか存在を認識されるのですよね。
そして反論することに慣れていないわたしは、結局嫌な役目を押し付けられることになるのです。
逆に、わたしには不釣り合いな良い役回りを偶然もらってしまったときには、他の人から変わってほしいと言われることもあります。
きっと「存在感がない」人間が目立つことは、似合わないと思われているのでしょうね。
評価されにくい
存在感がないと、周りと同じかそれ以上に仕事をしていても評価されにくいところはあります。
自己アピールなどしないのですから、仕方ないですよね。
とは言っても、ごくたまに評価してもらえることもあります。
わたしの子どもの話ですが、わたしと同じように存在感がありません。
ずいぶん昔の話になりますが、子どもの通知表に、「人の見ていないところでも、一所懸命に草むしりができます」と書かれていたことがあるのです。
担任の先生はちゃんと子どものことを見て評価してくれていたので、うれしかったことを覚えています。
勝手な言い分ですが、存在感のない人間は、人の目が届かないところであってもなくても、同じように頑張ることができるのです。
でも、そんな風に評価されることはまれで、多くの場合は存在を見過ごされてしまいます。
だからと言ってわたしも子どももそれを不満に思っていないところは、似た者親子なのですよね。
マイナスと思っていない
人に何と言われようとも、わたし自身は今のままでいいと思っています。
自分を変える必要もないですし、そんな努力をしても疲れるだけだと思うのです。
もちろん、仕事面や他人との付き合いで、存在が薄すぎて迷惑になるような時には、臨機応変に対応するようにしています。
でも、自分のやるべきことをしっかりやっているのなら、存在感がなくても問題ないと思っています。
ただ、「存在感がない」ような人間が嫌いな人からは、毛嫌いされる場合もあります。
個人の好き嫌いの問題なのでどうすることもできませんけれど。
おわりに
他人から「存在感がない」とか「影が薄い」とか言われて、傷つく人もいるかもしれません。
そんな自分が嫌なら、変わる努力も必要なのかもしれませんが、そんなに無理することもないと思います。
周りに迷惑をかけていないのなら、他人の言うことなんて気にしないことが一番なのです。